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ちょっと贅沢お作法

知らざァいって聞かせやしょう、「地芝居」の奥深き世界

 「僕は歌舞伎に出ていたことがあります」
そう人に話すと、「そういう家の出身なんですか?」とよく驚かれます。僕が出演していたのは「地芝居」といって、素人が演じる歌舞伎。その土地の人が演じる芝居なので、芸能の研究者たちは「地狂言」とか「地芝居」と呼んでいます。土地によっては、農村で上演されているので「農村歌舞伎」といったり、岐阜県のほうでは「地歌舞伎」といったりすることもあるそうです。

 都会で成立した歌舞伎が地方に流れ込んできたものが地芝居なので、
「本物」の都会の歌舞伎に対して、田舎の「ニセ物」のように見られてきました。
けれど、神社の舞台に花道をかけて歌舞伎の舞台をつくり、
近所のおじさんが化粧をして出てくるのを地べたに座ってわいわい見物できるのは、
地芝居ならでは。都会の歌舞伎とはまた違った楽しみがあるのではないでしょうか。

■秋は地芝居シーズン

 地芝居が多く行われるのは、秋。歳時記(『図説俳句大歳時記』角川書店)を引くと、
仲秋(秋の真ん中)の季語として「地芝居」が収録されています。
類語として、地狂言、村芝居、地歌舞伎、在芝居があげられています。

 実際のところ、地芝居は秋に限らず一年を通して上演されますが、
春と秋が多く、冬、夏に行うところは少ないです。
夏の地芝居は、真夏に役者のこしらえをしていると
倒れてしまうのではないかと心配になりますし、
冬に雪が降りしきるなか上演される地芝居(黒森歌舞伎)も風情がありますが、
観るほうにはなかなかの気合が要求されます。

 春や秋に地芝居が多いのは、昔の農作業のスケジュールや祭りの都合が
関係しているようです。
地芝居が、秋の季語となっているのは、秋の風景と地芝居が似つかわしいと
俳人たちが感じてきたからではないでしょうか。
高浜虚子の弟子、富安風生(とみやすふうせい)は、こんな句を残しています。

   地芝居のお軽に用や楽屋口 富安風生

 「お軽」とは、『忠臣蔵』のヒロインのお軽さんのことでしょう。地芝居は土地の素人が演じていますから、舞台ではお軽さんでも、普段は近所のお兄さんだったり、おじさんだったりするわけです。地芝居の楽屋は、普通のお兄さんやおじさんから、ヒーローやヒロインに変身する場所というわけです。楽屋に着目して、普通の人が一日だけ変身する地芝居のおもしろさをよく捉えた句だと思います。


■おすすめ地芝居エリア「神奈川県」

 はじめて地芝居に出かけてみようという方におすすめなのは、「神奈川県の地芝居」です。相模原市の藤野歌舞伎、海老名市の大谷歌舞伎、横浜市泉区のいずみ歌舞伎、座間市の入谷歌舞伎、秦野市の目久尻歌舞伎と、地芝居の団体が5つ活動しています。

 神奈川県の地芝居はどれも比較的交通の便のよいところで公演を行っており、首都圏からであれば日帰りが可能だからです。「ちょっと見物に行ってみようか」という方にはうってつけです。神奈川県の地芝居情報は都会に近すぎるせいか、地芝居見物のガイドブックにもほとんど掲載されていませんが、神奈川県はなかなかの地芝居王国です。

 神奈川県で具体的にいつから地芝居が行われるようになったかは、はっきりとはわかりません。少なくとも、江戸時代の後期、1800年ごろにはすでに祭礼で地域の住民たちが芝居を行っていたことが各地域に残された文書などから伺えます。

 江戸時代の末期からはプロの劇団が結成され、県内外の祭礼を中心に興行をしてまわりました。祭礼芝居は神楽師が興行を取り仕切ったり、ときには歌舞伎の役者を兼ねていました。神楽師から役者に転身する人もいたそうです。県下でよく知られた役者には、市川花十郎、市川柿之助、三桝源五郎などがいます。また、この頃の役者たちは、自分が芝居に出演するかたわらで、しろうとに芝居を教えるということもしていました。

 プロの劇団は1970年代まで活躍したそうですが、この頃になると再び素人による芝居が民俗芸能として注目されるようになります。

藤野歌舞伎の前身である篠原カブキが1965年に神奈川県民俗芸能大会に出演したのをきっかけに、県下では地芝居の保存会が結成されるなど、文化財指定が進みました。1990年代に入ると、再び地芝居復活ブームが起こり、新団体が結成されたり、既存の団体の活動が活発化して、前述の5団体が出揃います。2002年からは、毎年春に横浜で県内外の地芝居が競演する催し「かながわの地芝居」が開かれています。

Text Taro Tachino
Photo Taro Tachino
Edit MATSURIsta!