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ちょっと贅沢お作法

印刷用の書体 明朝体と宋朝体《前編》 活字書体の「明朝体」って、 中国の文字ではないの?

印刷用の書体として、日本人に馴染みの深い「明朝体」。
この書体、中国では「宋体」とよばれています。

近代的な活版印刷術による活字書体が普及する以前、
中国では、木版印刷による刊本の出版が盛んでした。

活字そのものは、中国の発明であり、
記録に残っている古い活字の例としては、
北宋時代の発明家、畢昇(ひっしょう 970頃?―1051)が
泥粘土と膠(にかわ)でつくった陶器製の活字とされる
「膠泥活字(こうでいかつじ)」や、
14世紀に元代の篤農家、王禎(おうてい 生没年不詳)が
つくった「木活字」が知られています。

しかし、膨大な文字キャラクター数を有する漢字を、
活字として使用するには困難をともない、その後、
中国での活版印刷術はあまり進展をみせず、
木版印刷による出版が主流となりました。

清朝の末期に、キリスト教の宣教師の伝道のために
西洋人は、近代的な活版印刷術をたずさえて訪清し、
墨海書館や花華聖経書房(のちの美華書館)を
設立しました。

西洋人たちは、そこで、当時主流のローマン体であった
「モダン・スタイルのローマン体」の設計思想にちかい
漢字書体をつくりました。

その書体は、
漢字の構成要素をエレメントとしてのパーツとしてとらえて
幾何学的なデザインを施すことによって、
画一的で分業・量産に向く形象へと導かれました。

この活字書体の形象は、
書芸文化を尊んできた中国においてはあまり、
受け入れられるには到りませんでした。

また、油墨をもちいて書画を描いたものを、
版下として使用することができ、
活字のように四角四面のグリッドという規制に囚われる必要がない、
石版印刷のほうが、中国では歓迎されて盛んとなったこともあり、
近代的な活版印刷術が中国に根付くことはありませんでした。

いっぽう、日本では、長崎の本木昌造らが、
西洋式活版印刷術の導入に尽力し、
上海美華書館よりウィリアム・ガンブルを招聘して、
活字母型の近代的な製造技術を得るとともに、
モダン・ローマン風の漢字活字書体ともいえる
いわゆる「明朝体」の活字デザインも採用しました。

また、洋行帰りの福沢諭吉も、西洋の書物のように、
連綿の筆記体ではなく、一文字一文字がはっきりと分かれた、
活字書体で印刷された書物こそ、近代の象徴であり、
近代を形成するための啓蒙書を印刷するにふさわしい
書体であると考えたようです。

福沢諭吉は、草書体のような連綿の文字ではなく、
四角四面の構成に納まり、個々が独立した形象の
活字書体による書籍の出版を推奨しました。

その後、中国では、科挙試験の廃止にともない、
先に近代化を推し進めた日本を参考に
近代的な教育制度や教科書を導入することとなり、
それにともなって、日本から近代的な活版印刷術や
活字書体としての「明朝体」を逆輸入するかたちとなりました。

そのため、中国の人のなかには、
「明朝体」は日本人がつくった書体であると
思っている人もいるほどです。

明朝体は、中国では「印刷体」とよばれることもあります。
それは、印刷のために便宜上使っている書体というだけで、
書芸を尊ぶ中国では、明朝体の文字書風としての評価は、
けっして高いものではありません。

それは、「膚廓宋体(ふかくそうたい)」というコトバで表現されます。
宋代の字の上辺だけを皮膚のように纏った字という意味で、
つまり、もととなった宋の時代の印刷体の外形たる輪郭線だけを
なぞって真似ているに過ぎず、文字の中味たる精神性が
欠落したものであるという評価なのです。

中国で正式な文書の印刷をおこなう際、そのおおくは、
「倣宋体(ほうそうたい)、方宋体」が用いられます。
「倣宋体、方宋体」は、日本では、いわゆる
「宋朝体」とよばれている書体です。

しかし、最近の中国では、
日本の明朝体の整然とした統一感が、
現代的で好ましいという若い世代も登場しています。

中国では、先進化と合理主義を優先させて、
書の授業を義務教育から外した時期がありました。
その後また、書の教育の重要性が見直されて、
教育の現場に書の授業がふたたび導入され、
現在、中国では書がブームとなっています。

時代や書芸のリテラシーによっても、
明朝体の評価は分かれるものだと考えられます。

photo_Kaori Oishi
text_ROBUNDO Jiro Katashio & Kaori Oishi