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ちょっと贅沢お作法

美しい海で知られる与論島の、お茶に救われた入植者の話

鹿児島県の中でもっとも沖縄に近い最南端の島、与論島。東西5キロ、南北4キロの小さな島は、一昔前まで飢餓に悩まされていました。そのため、行った集団移住先で入植者たちはお茶の栽培に救われたのです。

■飢餓と水不足で悩む住人は満州へ
美しいサンゴ礁と青い海で知られる与論島。現在では観光地として有名な場所ですが、狭くて川がない立地のため水不足も多く、台風の被害もあり、一昔前まで飢餓に悩まされていました。
そのため、さまざまな場所へ住民たちは集団移住を行い、戦時中の昭和19年、635名が満州へと入植。故郷とは気候も風土も異なる土地で開拓を続けましたが、昭和
20年、敗戦を迎え、入植者たちは日本へと戻りました。

■故郷へ帰ることができず、再度、入植を決意
しかし、当時、与論島のある奄美群島は米軍統治下に置かれ、帰る術は密航船であるヤミ船しかありません。満州からの引き揚げで家財道具も失い、故郷に帰ることもできない人々は、本土での再開拓を決意します。
再度移住したのは、鹿児島県肝属郡田代村(現錦江町田代麓)。満州での開拓地の名前をそのまま引き継いだ『盤山』という名前をつけ、開拓者たちは標高500mの急斜面に畑を切り開きました。

■入植先でも季節風や台風に悩まされる
しかし、ここでも台風や強い季節風の被害に遭うことが多く、生活は厳しいものに。集落を離れる人も出てきた入植11年目の春に、入植者である有馬夫妻が畑のあぜ道に植え付けておいたお茶が、よく育っていることを発見します。
このお茶こそが、入植者を救う大きな一歩となりました。

■広がるお茶栽培の輪
最初は4戸の農家が30アールの土地で始めたお茶栽培は順調に進み、現在では21戸の農家が手がけるほどに。作付け面積はひとつの農家につき、多いところで700~800ヘクタール、少ないところでも100~200ヘクタールほどもあるそうです。

■そして、農林大臣賞優秀賞を受賞
有馬夫妻の奥様、芳子さんは、昭和46年に全国『家の光』大会で鹿児島県代表として、お茶栽培の苦労と成果について発表。そして、最高の栄誉賞である農林大臣賞優秀賞を受賞します。現在でも、お茶は盤山の全域で栽培されています。

入植者たちを救ったお茶の栽培。作り手の方々の人生に思いを馳せながら、日本茶を飲むとより一層味わい深いものになりそうです。

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