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デイプレ手みやげ

近代化の影の立役者「活版印刷術」 平野富二の生涯から明治の男の気骨を知る

わが国への西洋式活版印刷術導入の礎を築いた「本木昌造」。
その昌造の命を受け、近代活版印刷術の産業化を担った「平野富二」。
昌造に勝るとも劣らない「平野富二」の多才ぶりの全貌がいま明らかになる。

グーテンベルクによる活版印刷術の登場は、西洋社会を
暗黒の時代と呼ばれる「中世」から「近代への扉」へと導く、
大きなきっかけとなりました。

「活版印刷術」という、あたらしい「マスメディア」を有効に活用した
人物と事象として、「ルターの宗教改革」が知られています。

16世紀のドイツの宗教家マルティン・ルター(1483―1546)は、
当時堕落していたローマ・カトリック教会に対する「95ヶ条の課題」をはじめ、
たくさんの宗教改革書を印刷し、その考えをヨーロッパ中に広めました。

また、それまでの聖書は、神のことばを違えることのないように、
ラテン語主流、もしくは、難解な直訳で記されていましたが、
ルターはこれを、口語に近いドイツ語に翻訳して印刷しました。
このことは、聖書の一般への普及はもとより、
地域色の強かったドイツ語方言の正書法への統一にも波及し、
近代ドイツ語の成立にも影響を及ぼすことにつながりました。

近代化の影の立役者ともいえる西洋式活版印刷術ですが、
その仕組みこそ、近代そのものを体現しているともいえます。

型(父型・母型・鋳型)を用いて印刷物の型となる活字を製造し、
可動活字という部品を組み合わせて
印刷版や印刷物という複製品を量産する機構は、
大量生産・大量消費社会を支える、
型による量産システムやパーツシステムそのものの縮図でもあるからです。

そのような、近代社会の成立に欠かせない西洋式活版印刷術を
日本に導入するために尽力したのは、前回ご紹介した本木昌造ですが、
その昌造の命を受け、近代式活版印刷術の産業化を実現させたのが
平野富二(ひらの とみじ 1846―1892)でした。

平野富二は、昌造とおなじく長崎で生まれます。
惜しむらくも47歳という短い生涯でありながらも、
恩師の昌造に負けず劣らず、多彩な才能を発揮し、
わが国の産業の近代化におおきな功績を残しました。

なかでも、本木昌造の活版事業を引き継ぎ、
長崎から東京に進出する際には、事業資金を工面するために、
自らの首をその担保とする「首証文」を差し出したという逸話は
平野富二という明治の豪傑の熱い人となりを伝えています。

今年は、平野富二没後120年、
長崎新塾出張活版製造所(のちの東京築地活版製造所)設立より140年、
石川島造船所(現、株式会社IHI)創業160年にあたります。

その記念すべき年に刊行される本書は、
もと石川島重工業株式会社(現、株式会社IHI)にて、製鉄設備、
産業機械分野の設計、開発、技術管理、新機種営業部門を歴任され、
IHI OBを中心とした社史研究会「平野会」の設立と運営にも協力された
古谷昌二(ふるや しょうじ 1935―)氏によるものです。

技術者として経営者として、活版印刷業や造船業をはじめ、
機械製造業、土木業、鉄道業、水運業、鉱山開発業など
今まであまり紹介されてこなかった平野富二の全貌を追い
明治という時代を奔り抜けた男の生きざまと
わが国の近代産業技術発達史の一断面を知ることができる1冊です。

平野富二。体重は100Kgをゆうに超え、人力車はふたりがかりで引いたといわれるほどの、大柄な男であった。

平野富二。体重は100Kgをゆうに超え、人力車はふたりがかりで引いたといわれるほどの、大柄な男であった。

明治10年頃の平野富二による活版製造所の活字見本帳(部分)。
「MOTOGI & HIRANO」と印刷されている。平野ホール蔵。

明治10年頃の平野富二による活版製造所の活字見本帳(部分)。
「MOTOGI & HIRANO」と印刷されている。平野ホール蔵。

Item data

商品名:
古谷昌二 編著 『平野富二伝』
販売元:
朗文堂
URL:
[朗文堂]http://www.ops.dti.ne.jp/~robundo/
お問い合わせ先:
03-3352-5070

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