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タイポグラフィ

わたしたち現代日本人のおおくは、残念ながら
およそ150年以上前の書物の文字をスラスラと判読することができません。

これは、すでに15世紀の中頃に近代的な活版印刷術が大成されて、
活字化された文字(type)による印刷本が、550年以上も昔から
普及してきた西洋との大きな違いです。

明治時代の初期に西洋式活版印刷術が導入されて、
活版印刷による書物が普及する以前の日本では、
漢文を印刷体で版木に彫って印刷した一部の書籍は別として、
一般に読み書きされていた筆書きによる連綿体の文字を
版木に彫って印刷した書物がひろく普及し、
世界でも有数の識字率を誇る、江戸の出版文化を支えていました。

当時、一般に普及していた書風は「御家流(おいえりゅう)」とよばれるもので、
徳川幕府の公式書体にも採用されていた書流です。
寺子屋でも、この御家流の書が学ばれ、庶民にもひろく使用されていました。

「御家流」は、尊円流(そんえんりゅう)や、青蓮院流(しょうれんいんりゅう)
とも称される、尊円法親王(そんえんほうしんのう 1298―1356)に
源流を発する和様書芸の一派で、江戸時代に到って大衆化して、
実用書体となりました。

以前ご紹介した「本木昌造」の短冊も、この御家流で記されていましたが、
今回は、本木昌造の和歌の先生でもあったとされる
池原香穉(いけはら かわか 1830―75)の御家流の書による和歌を
ご紹介します。

池原香穉(号は日南)は、本木昌造とおなじく長崎の出身。
国学者で眼科医であり、のちに明治天皇に近侍して、
宮内省の文学御用掛をもつとめた人物です。

本木昌造が薩摩藩から印刷機を導入する際に
その仲介をした人物ともされ、長崎の新町活版製造所や、
のちの平野活版製造所(東京築地活版製造所)の活字書体にも
池原香穉の書がおおきく関わっているとされています。

流麗かつ淀みのない筆遣いで書かれ、変体仮名ともよばれる
ひら仮名異体字が華麗に駆使されている点もみどころです。

  • 落梅浮水
寒くとも 伊さ於わ堂ちて 結者まし 尓くめ数尓しる 春の可者三州
(寒くとも いさおわたちて 結ばまし にくめずにしる 春のかはみず)
  • 霞 初 聳
天降良無 神代の春も 満奈可也 か数三そめし家 高千穂の山
(天降らむ 神代の春も まなか也 かすみそめしか 高千穂の山)
  • 花便の可多耳
手をらるゝ もの那らま世盤 花の年も 延者尓し筆尓 そへて来ましを
(手をらるる ものならませば 花のねも 延ばにし筆に そへて来ましを)
  • 暮見卯花
う能花の 咲る岸根尓 棹さして くるゝもしら須 川小舟可那
(うの花の 咲る岸根に 棹さして くるるもしらず 川小舟かな)

短歌よみくだし文

落梅浮水
寒くとも 伊さ於わ堂ちて 結者まし 尓くめ数尓しる 春の可者三州
(寒くとも いさおわたちて 結ばまし にくめずにしる 春のかはみず)

霞 初 聳
天降良無 神代の春も 満奈可也 か数三そめし家 高千穂の山
(天降らむ 神代の春も まなか也 かすみそめしか 高千穂の山)

花便の可多耳
手をらるゝ もの那らま世盤 花の年も 延者尓し筆尓 そへて来ましを
(手をらるる ものならませば 花のねも 延ばにし筆に そへて来ましを)

暮見卯花
う能花の 咲る岸根尓 棹さして くるゝもしら須 川小舟可那
(うの花の 咲る岸根に 棹さして くるるもしらず 川小舟かな)


池原香穉 自筆短冊

possession_Hirano Hall
text_ROBUNDO Jiro Katashio & Kaori Oishi

プロフィール

池原香穉(いけはら かわか 1830―75) 号:日南

池原香穉(いけはら かわか 1830―75) 号:日南

国学者、眼科医。長崎生まれ。
若きころは、吉田松陰に師事し、勤皇運動にも参加。
明治六年に、西道仙、松田源五郎らとともに、「長崎新聞」の発行にも関わる。
明治一二年、宮内省の文学御用掛に任ぜられる。
著書に、明治天皇の巡幸に供奉した記録をまとめた『みともの数』全五巻がある。